連日の土木作業らしきこと?をしていると
「女の子なのにすごいね」と声をかけて貰います。
それを言った人には別に何も深い意味はなくて、
私も確かに男の人の方が力があるし、珍しいんだろうな〜くらいな感覚でいましたが、
やっぱり同じセリフを何人かの人に言われると
どこかで引っ掛かりを感じます。
女性だから、確かに肉体的には男性と同じような体は生物学上生まれ持っていない。
でも!
外で庭仕事をするのは男性だけではないはず。
いや、もし隣に頼れるパートナーが居たら一緒にやっているだろうし、
自分が出来ない事があれば、男の人に頼ると思う。特に力仕事は。
そういうパートナーがいない場合、
それでもやりたいと思った事にはチャレンジする!
男性は女性に頼られるのが好きだと言います。
女性だから可愛くお願いしたら男の人が手伝ってくれるよ。そんな風に昭和生まれの男性からは意見を貰います。
でも実際自分でやってみると思っていた以上に出来ちゃったりする!笑
こんなこと出来ない〜。と言えば
男性側には可愛く聞こえるかもしれない。
でもそれは男性の勝手なエゴだったりするのかも。とも思う。
弱いものを守ってあげたい。
そんな心理かもしれないけど。
肩肘張って1人で出来る!って言いたいわけじゃない。
ただ、
女性であること。
個人的に小さい頃からその不自由さや不平等さを
家庭で感じて育ちました。
三人兄弟の長女。
1番上だからか、女性だからか、どちらかは分からないけど、
家事をお願いされる割合が下の弟達よりも多く、
結構大きくなってもそれは変わらず、それが不満だったりしました。
洗濯物を干すのも、料理の支度を手伝うのも、掃除、お茶碗を洗うのも、
母は大抵私に頼んでました。
反抗してなんで私だけ?と言ったりしていました。その時はその場で弟たちにもやる様に促してはくれていましたが、大抵一時的なものでした。
やっぱりどこかで家事は女性がやるもの、と
社会では位置付けられていて、家庭の構造自体が、そうなっていました。
だから親が居ない時に頼まれた家事仕事は弟たちにも分担させてましたが笑
(現在、1番下の弟は家事も育児もこなす、家庭的なお父さんです^ ^)
社会人になってからも、
同じ企画営業という仕事で入社したにも関わらず、
同期の男性だけが東京や大阪などの出張に行ける現実。
女性は1人で行ったら危ないから。
そんな訳の分からない理由で名古屋の事務所から出れず、
なんだか悔しかったのを覚えています。
昔に比べたら女性と男性はかなり平等になっているみたいけど、
未だに性にたいする理想像や固定観念は存在してて、
庭仕事をしながら何度もかけられた「女性なのに」に反応してしまい、色々過去の出来事などが蘇りました。
もちろん、個人の性格の違いが一番影響するのは言うまでもないですが、
固定観念って時々邪魔になるなって思います。
最近ではLGBTQ(Lesbian,Gay, Bisexual, Transgender, Queer, Questioning) など
セクシャルマイノリティの人も以前より社会的に認められてきています。
多様な在り方が当たり前になる社会になるといいなと思います。
庭で出た石のほとんど90パーセント自分で取り除きました。あとの10パーセントの石は近所のおじさんが持ち上げてくれました!
やっぱり力があるからすごく助かるし、ありがたいです!
女性も外の仕事をするし、男性も内の仕事もする。
どちらも出来るようになり、
お互いにカバーし合えるような関係性になったら最強ですよね♫
お互いの性を尊重したい。
生まれ持った性に執着しすぎない。
特に社会が求める理想なんかは気にしない。
自分の気持ちに正直に生きて、オープンな在り方がもっと浸透するといいなと思いました。
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